長男のウエディングパーテイ

2005年9月10日 はれ

ETCとナビのおかげでとても速く楽に東京に着く。湾岸、東名、首都高速と順調。東京料金所あたりからは青空が広がる。東京は晴れ。そこからわずか十分足らずでフォーシーズンズHOTELへ。ここは宿泊のみ。
長男が迎えに来た。蝶ネクタイが似合っている。
タクシーで神楽坂のCカフェへ。ここでウエデイングパーテイ。
お堀近くの屋外でとても爽やか。都会の風も素敵。北海道から九州までの友人百人以上が来てくれた。パーティはその友人と両親、兄弟祖父母のみ。


花嫁Sさんのウエデイングドレス。清楚な感じ。いつもノーメイクだから見違える。綺麗。
お似合いのカップルだ。彼女の人生で最高に輝いている日。
三十年前の私もそうだったな・・・。


T中学、K高校の友人も遠く三重から来てくれた。
カメラマンはSさん。司会はFくん。みんな大学B同盟の先輩。スマートな大人になった彼らに会えて感激。
一年の夏、歩いて東海道五十三次の新橋から京都まで行く途中、家に立ち寄った。
どこか幼さが残る大学生10数名。みんな汗とホコリと日焼けで真っ黒だった。
私は山のような洗濯物と食事づくりにあけくれた。数日間の休養後、彼らは京都まで歩きとおした。「三重で元気になれた。生き返った。あれがなければ京都に到達できなかった。Nのお母さんのおかげ・・・。」と喜んでもらった。そんな事もあった。なつかしい。


夕闇が迫って「瀬戸の花嫁」が流れる。舟に乗って現れた二人。船頭さんももちろん友人。艪をこぐ手つきも慣れた感じ。お堀がなければこんな事できない。いい演出。
型破り、新郎の父が乾杯の音頭をとる。「未熟な二人をよろしく。」


進行役二人の掛け合いも面白い。音楽の選択もさすが。うちに何度も遊びに来てくれたF君はCMを作っている。長男は仕事柄、音楽も得意だし・・・。


「二人の生い立ち」の紹介。ミニカーの車種が何でもわかった幼少期。母方のおばあちゃん子だった。マイケルジョーダンに夢中でバスケットに明け暮れた中学、高校時代。
高校バスケ部は県で優勝して東海大会に出たこと。その時のエピソード、祝宴で酒を飲んだとか飲まないとか?それが大学推薦入学選考時、問題になった。忘れていた。あの時は大変だったな。
友人のO君が「Nは飲んでいません。」と証言してくれて無事推薦決定。
彼は恩人だ。彼がいなかったら今のNはない。Sさんとも出会ってないなどなど・・・。


「二人の出会い」は紙芝居風。ここでも音楽がいい。
沖縄が好きな長男はよく出かけていたが、石垣島からきてくれ「たくちゃん」は沖縄のサンシンで「花」を演奏。
みんなここでエーサー踊り。会場は沖縄ムード一色。
今も一緒に音楽をやっている仲間がこの日のために作詞作曲した曲を披露。しっとりした静かな曲を演奏。長男は涙していた。
「B同盟」はおそろいのハッピで長男が考案した「朝日の万歳」「イセエビの万歳」などを披露してくれた。たしか一年の時、大学対抗のテレビ番組に出て「朝日の万歳」やってたな。これもなつかしい。


「結婚宣言」なるものを読み上げる。大人になった。
締めくくりは打ち上げ花火。これにはみんなびっくり。これもお堀だからできること。
最後にもう一度来てくれたゲストを一人一人拍手で紹介。細やかな心配りが光る。
その後両親に花束贈呈。
ここでSさんのお父さんが号泣。しっかり花嫁の父を演出。
気を取り直してお礼の言葉。中国で流通関係の仕事をされているので中国語で。


「いい結婚式でした。」「感動しました。」とみんなに喜んでもらった。
中身の濃い楽しい手作りの結婚式。心がこもっていた。なぜか気分がふんわりして安らいだ。
色んな演出が感動の連続だった。彼の東京生活十年が凝縮された二時間だった。
その後二次会、三次会・・・。朝まで続いたらしいが・・・。


たくさんの友達に恵まれ長男は幸せ者だなと改めて思う。
人生のパートナーと出会って、今日新たなスタートラインに立つ彼に乾杯!


「結婚おめでとう。」
「これからの人生に幸多かれ。」と祈る。