父の入院

2005年12月10日 

父が軽い脳梗塞で倒れた。3日土曜日朝方弟が車でY病院へ。すぐ点滴が始まり、二週間の入院と診断される。
御在所岳に雪が降った日。やはり朝方冷え込んだのだろう。倒れてからすぐ起きて歩いたらしいがその後わけのわからないことを言い出したらしい。何か聞いても「わからん。」とか言うし、「名前は?」と聞いても答えなかったとか。家族が傍にいたからよかった。早い発見が大事に至らなかった。独り暮らしならこうはいかなかっただろうに。
4日朝早く三人で出かける。病院へ。
元気だが失った言葉がある。わかるものとわからないものがある。わかっていても言葉に出せないものがある。長く時間をかけるとわかる言葉もある。
会話は普通にできる。手足の運動も普通のようだ。
脳梗塞の治療は点滴しかないそうだ。あと言語訓練と歩行のリハビリ。
歩行には何も異常がなく普通に歩いているので「リハビリどうしてやらないかんのだ。」といっている。
「言語訓練も嫌だ。」といっている。わかっていても口に出せないのがじれったいらしい。
記憶の部分が脳梗塞。次第に回復する事も多いらしいのであせらずに待とう。

今日山の帰りによると一週間ぶりにお風呂に入れたと喜んでいる。父は温泉大好きだった。
この日は丁度母の誕生日。ショートケーキを買って行く。
行くといつも母はまるで幼子に語りかけるように話しかけている。「立て板に水」という形容がぴったりの母の言葉の数々。
今日の「おばあちゃん先生のリハビリ」の話題は「誕生日。」「おめでとう。」などとなぐりがき。父の字はしっかりしている。母の動物のイラストもうまい。その横に父が名前を書き入れている。徐々にわかる言葉が増えている。献身的な母のスパルタ式リハビリには頭が下がる。
「今日はお風呂に入れた。自分で歩いて休憩室で食事もできるようになった。確実に快方に向っている。」
「父から最高のプレゼントをもらったいい誕生日。」「肩の荷が8割おりた。」といって動き回る母の表情が明るい。
私はといえば、父は元気なのが当たり前と思っていたが高齢だったのだとはたと今頃気づく愚かさ。
老いた両親の人生の残り時間はあとわずか。なのに愛情を受けるばかりで何もしてこなかった。これからはせめて一回でも多く顔を見せに行くとしよう。そして神様に二人が少しでも長く揃っていられるようにお願いしよう。
産んでもらって育ててもらって大恩を受け、それで私にできることはそれぐらいかな?